中野拓の英文精読教室

いい英語を、味わい尽くそう。

英文精読教室 その1 

 以下の英文を精読せよ。余裕があれば、和訳してみよ。 なお、英文の一部に下線を施しているのは、後の説明の便宜のためである。 第2パラグラフでは、英文の時制に特に注意せよ。

 本記事最後には、中野による訳文を与えてある。

*Milosz, who died in 2004, was not considered a political philosopher. But as a politically engaged, philosophically minded poet, essayist and diplomat, he was as close as one could get in the United States to being a public intellectual. His work in the Polish resistance against the Nazis during World War II and his defection from Communist Poland in the early 1950s meant that Milosz belonged to a world, as he once dryly observed, at “the avant-garde of inhumanity.”

 

     In “*The Captive Mind,” Milosz traces the education of Eastern Europeans across blood-red historical expanses. There was a time, he writes, when people would have called the police upon seeing a dead body in the street; soon there are so many corpses that they pretend not to see them. They assume the houses are, well, houses — sites of both permanence and memory. After history bulldozes through, the houses are blasted plaster and wood scaffolding. One “house,” he remarks, now showcases a bathtub on an exposed third floor, “rain-rinsed of all recollection of those who had once bathed in it.” When their city divides into different quarters; when a wall grows around one of the quarters; when the quarter’s inhabitants are trucked out, never to return, the others grow accustomed to the sight. What do they see? That nothing could be more natural.

 

The Stone / The Opinion Pages / The New York Times

"America's New Normal" Robert Zaretsky June 22, 2016

より一部抜粋。

 

*Milosz: チェスワフ・ミウォシュ。リトアニアポーランド人の詩人。(1911-2004) ノーベル文学賞受賞。(1980)

*The Captive Mind: 邦題は『囚われの魂』。Miloszの代表作。

 

第1パラグラフ

-mindedは多岐にわたる複合語を作る。politically-minded(政治に関心のある)、like-minded(気の合う)など例を挙げればきりがない。OALDのmindedの項で、基本的な語を確認すること。

 

 私が高校生のときに(1990年代の終りだ)受けた大学入試のための模試で、「国際人」という語を英訳せよという設問を見たことがある。関係詞節を使って不器用な英文を書いた気がするが、そのときの模範解答は"an internationally-minded person" となっていた、確か。余談だが、その後、ある大学が入試で、「英語を話せさえすれば国際人になれると勘違いしている人がまだ大勢いるのは残念だ」というのを英訳せよという設問を出したそうで、この問題を解説している今の市販の参考書は、「国際人」というのをmembers of the global communityと訳しているそうだ。

 

 閑話休題。下線部 he was as close as one could get in the United States to being a public intellectual については、まったく意味を取れなかった人がたくさんいらっしゃると思う。まず、be [come / get] close to 名詞という表現。(to beingという形に注目して欲しい。*to be...ではない。)ここでcloseは形容詞で、「ほとんど〜するところである」という意味である。OALDでこの意味で使われている形容詞closeをひき、toの後に普通名詞が続く例だけ挙げてみても、He was close to tears. (彼はもう少しで泣くところだった。)The new library is close to completion.(新しい図書館はもう少しで完成です。)She knew she was close to death.(彼女は自分が死につつあることを分かっていた。)

とたくさんある。to -ingの形を調べてみると

   We are close to signing the agreement. (OALD) (私たちが合意文書に署名するのは間近である。)

   We're close to clinching the deal. (LDCE)(私たちの商談がまとまるのは間近である。)   

 など。

どれも、日本語の「近い」という語が指示する範囲からそれほど離れていないことが分かると思う。

 

こうして、"He was close to being a public intellectual" (かれは、ほとんど"a public intellectual"であると言ってよかった。)という、構造の核にあたる部分が見えれば、仕事は半分終わりである。

 

次に、as close as one could get in the United States という部分に注目する。周知のように、一つ目のasは「同じだけ(少なくとも劣ってはいない(後述))」を表す副詞である。He is as old as Jim (is). という英文に現れる「同等比較」と同じである。 「それは分かるんだけど、二つ目のasから後、as one could get in the United States から後が分からない」とおっしゃる向きもあろう。これも気づいてしまえば簡単。Take as much as you can eat. (食べられるだけ取りなさい。)と同じ形である。また、下線部で、oneは、「人」を表す三人称の代名詞。ではgetは?ここで、getを他動詞(目的語を取る動詞「〜を手に入れる」)と捉えた人は、失格。文脈に、その目的語にあたる語は何もないのだから。正しくは、getは「〜になる」(〜は形容詞)という意味である。そうすれば、closeという形容詞があることと辻褄が合う。直訳は、「彼は、アメリカにおいて、人が『a public intellectualであるということ』にどれほど近づこうとも、それに劣らぬほどにそれに近い存在であった」。

 

   a public intellectの翻訳は難しい。「大衆知識人」という訳語を案出するにあたって、"a public intellect"について書かれた2つのウェブサイト(Who Is a Public Intellectual? The Role of the Public Intellectual)を参考にした。 私とて、日本語の「大衆」という語に、ときに軽蔑の含みがあることを知っている。もっと良い訳語があれば、ぜひご教示願いたい。

 

  念の為にいい添えておきたい。as...asの構文を「同じくらい」という訳語と対応させて覚えているだけでは、英文解釈でときに支障が生じる。asについては、コインの表側に「同じだけ」という意味が書かれてあるとしたら、裏側には「少なくとも劣らぬほど」という意味が刻印されていることを確認しておきたい。このことは、否定文で自明である。

 Tom is as old as Sam. という英文は、トムとサムが同い年であることを意味するが、

 Tom is not as old as Sam is. という英文は、トムはサムと同い年ではなく、かつトムの方が年下だということをはっきりと意味する。何を今さら…と思われる向きもあろうが、asが「同じだけ」という意味しかないのだとしたら、否定文は単に、「同じではない」という意味にとどまらなければならないのではないだろうか。

 

 先述のように、asには「少なくとも劣らぬほど」という意味が潜んでいる。だから、否定文においては、「形容詞(ここではold)の程度において、劣っている(=oldではない方である)」という意味になるのである。

 

 さらに比喩表現をあげると理解が深まるかもしれない。どの例も、二つ目のasの後に程度の甚だしい比喩が来て、主語がそれと「同じだけ」、あるいは「少なくとも劣らぬほどに〜だ」と言って、程度が甚だしいことを強調している。

 The ghost was as big as an elephant.

    I picked up the phone, but the line was dead as a doornail.

 The idea there are only two genders is as outdated as the world being flat--so just shut up and nod.(The Telegraph 12 March, 2016の見出しより)

 

 a world at "the avant-garde of inhumanity"は、「非人間性の極北に位置する世界」。定冠詞 "the"ではなく、不定冠詞"a"が使われているのは、ここでは、「安寧な暮らしができる世界」など他の世界(another world)が想定されており、そうした複数の中の「1つの世界」という意味だからである。また、前置詞にも戸惑ったかもしれない。"avant-garde"は「前衛 (before the gurad)」を表すフランス語(芸術に関心のある人には、「アバンギャルド」はお馴染みの言葉だろう)。残酷な戦争の前線を物理的にイメージしてみれば、inではなくatが使われているのが納得できるのではなかろうか。

 

第2パラグラフ

 when people would have called the police upon seeing a dead body in the street という形容詞節について。would have p.p. は、仮定法過去完了の文において、帰結節に現れる形である。(If you had asked me, I would have told you. といった基本的な文を想起せよ) ここでは、条件節がないように見えるが、upon(=on) seeing the dead body in the street が「ありそうもなかった条件」を表している。「(そんなことは可能性はゼロに近かったが)道で死体など見ようものならすぐに…」ということである。

 

 このあとは、すべて現在形が続いている。この現在形は「歴史的現在(the historical present / the narrative present / the dramatic present)」と呼ばれる。一般に、緊迫感を生むために(to create an effect of immediacy)この修辞法が用いられると説明されるが、「確かに…」とその緊迫感を共有してくださっただろうか。日本語訳では過去のことを書くのに現在形のみを用いると違和が生じるので、一文を除き、敢えて過去形で訳出した。

 

 「家」が、"the houses"から"houses"へと急変しているのはどういうわけか? ここでの冠詞の扱いは、決して易しくないが、Michael SwanのPractical English Usage(the Third Edition) は、可算名詞の複数形が、無冠詞で使われる場合と、定冠詞とともに使われる場合の微妙な際について言及している。(Michael Swan (2005) Practical English Usage  the Third Edition 69-1 (p.60)) 以下、引用する。

 

 When we generalise about members of a group, we usually use no article. But if we talk about the group as a whole--as if it was a well-known unit--we are more likely to use the. Compare:

--Nurses mostly work very hard.

  The nurses have never been gone on strike.

--Stars vary greatly in sizes.

  The stars are really bright tonight.

--Farmers often vote Conservative.

  What has this government done for the farmers?

--It's difficult for railways to make a profit. (any railways)

  The railways are getting more and more unreliable. (our well-known railways)

 

 "sites of both permanence and memory"は、いわゆる「of + 抽象名詞」が形容詞になるという用法。the twon of memory「思い出の町」a toy of memory「懐かしいおもちゃ」

 

 rain-rinsed of...は「…が雨で洗い流されて」という意味の造語で、いわゆる付帯状況の分詞構文。意味上の主語は、One houseである…と書くと分かりにくいだろうか。deprive, robなどが受動態や分詞構文でつかわれると、ofの後に「奪われたモノ」が続くことに着目してほしい。

  A lot of these children have been deprived of a normal home life. (LDCE)

  He could rest only when he was too drained of energy to fret further. (Collins Dictionary)

 

 引用部最終文について。see that節は、1. 「〜であることを目にする」2.「〜であることを理解する」これは、2番目の用法のthat節だけが切り取られたもの。

 

(全訳)

 ミウォシュは2004年に死んだ。彼は政治哲学者とは見なされていなかった。しかしながら、政治に関わることに積極的で、哲学的な思索をした詩人として、また随筆家として、外交官として、彼はアメリカにおいて限りなく「大衆知識人(a public intellectual)」に近い存在であった。第二次世界大戦中のポーランドのナチへの抵抗闘争(レジスタンス)のさなかのミウォシュの仕事、そして、1950年代初めの、共産化したポーランドからの彼の離反が意味していたのは、彼の属する世界は、かつて自身がそう述べたように、非人間性の極北にあったということである。

 

 『囚われの魂』の中で、ミウォシュは血塗られた歴史的地平に広がる東ヨーロッパ人の教育の歴史を辿る。彼は以下のように書いている。道で死体を見るなどということが仮にあれば、すぐに警察を呼ぶ時代があった。すぐに、道は死体でいっぱいになり、人々は見て見ぬふりをした。彼らは、自分たちの家は、いや、家というものは、ずっと変わらない場所であり、思い出の場所だと思っていた。歴史のうねりが過ぎ、彼らの家々は爆破され漆喰に、木の足場になり果てた。一軒の「家」は(と彼は書いている)今や吹きざらしの三階に、バスタブを展示している。「かつてそこでお風呂に入った人の記憶すべては、雨で流されてしまったきりで」 彼らの街が四つの異なる区域に分かたれ、そのうちの一つの周りに壁が築かれたとき、その区域の住民がトラックで輸送され二度と戻らなかったとき、他の人々は皆、そんな光景にゆっくり慣れていった。彼らが見い出したこととは?これ以上当たり前のことなどないということだ。